小野正嗣さん芥川賞受賞スピーチ

ふと、去年の年明けのことを思い出して、小野正嗣さんの『9年前の祈り』を読みました。


芥川賞受賞スピーチを抜粋します。


小野さんの作品がどのように生まれるのか、小野さんの眼ざしが見えます。

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付録~芥川賞受賞スピーチより

与え、与え、なおも与え

 

1951年4月16日、サミュエル・ベケットは、親しい友人マニア・ペロンに宛てた手紙のなかで、こう書いています。

「春のにわか雨の合間に、泥をひっくり返して、ミミズを観察しています。観察といっても、すぐに新しい頭かしっぽがはえてくるのはわかっているのですが、ミミズたちをシャベルで傷つけないようにしています」

45才になったばかりのベケットは、まだまったく無名の存在でした。『ゴドーを待ちながら』の初演は二年後です。あらゆる出版社に原稿を拒否され続け、この手紙のほぼ一か月前に小説『モロイ』がようやく刊行されたばかりでした。のたうつミミズに、ベケットは何を見ていたのでしょうか。書けども書けども発表する機会に恵まれない自分の姿でしょうか。湿った泥から引きずり出され、外界に無防備にさらされたミミズに、ベケットは自分自身を重ね合わせているようにも読めます。

その一方でベケットは、ミミズに「再生」の力をたしかに見て取っています。引きちぎられても新しい頭やしっぽが生えてくるのです。

ちょうどこの頃、まさにベケット自身の「再生」あるいは「新生」も始まろうとしていました。『モロイ』は批評家たちに高く評価されます。大きな文学賞の候補になる可能性も生じますが、賞にはつきものの騒動に巻き込まれ、自分が公の場にさらけ出されるくらいなら候補を辞退したい・・・・そうベケットは彼を「発見」してくれた編集者に手紙を送ります(それも、のちに妻となるスザンヌに手紙を代わりに書いてもらって)。そして以後、作品についての取材は一切受け付けないという姿勢を貫きます。

僕はベケットの作品が大好きですし、作家としての姿勢に心から憧れていますが、真似したくてもできません。ベケットを読めば読むほど、絶対に彼のようなものは書けないとわかります。意気阻喪させられますが、同時に強く「激励」されます。自分自身の場所を見つけろと尻を蹴っ飛ばされている感じがするからです。そして文学の世界は広大で自由なので、自分の場所は必ず見つかります。「天才の作品の周辺には、われわれが小さな光を入れておくための場所がある」とカフカも『日記』に書いています。「天才的なものは人をただ模倣に駆り立てるだけではない普遍的な激励だ」というのです。


すぐれた作品は、他者に「場所」を与えます。作り手にはもちろん、受け手にも場所を与えてくれます。素晴らしい小説や絵に出会うと、どうして感動するのでしょうか。自分が受け入れられ、支えられている、と感じるからではないでしょうか。そこに、私たち一人一人のための「場所」が、「私のための場所」があると感じられるからではないでしょうか。作品は、受け取ってくれる私たちを必要とします。私たち一人一人を受け入れ、「あなたが必要だ、あなたの存在が大切だ」と訴えているのです。つまり作品は、それに触れる人が「生きること」を望みます。「あなたに生きてほしい」。だからこそ、素晴らしい作品に出会ったとき、私たちは「支えられ」、「励まされ」、「救われた」と感じるのです。


作品とは「与える」ものです。それがよくわかるフランス語の表現があります。絵画を見たり自分で何か作ったりするとき、ごく日常的な表現で、「どれどれどんな感じかな?うまく行っているのかな?」というニュアンスですが、直訳すれば、「それは何を与えているのか?」ということです。

与えるためには、おそらく多くを受け取っていなければなりません。そもそも小説を書くための「言葉」が他者から受け取ったものです。しかも言葉のなかにはその始まりから、様々なものが「与えられ」ています。赤ん坊が受け取る「言葉」には、赤ん坊を抱く母親的な存在が与える笑顔、乳、肌のぬくもりがつねに混じっています。言葉、乳、情動、ぬくもりが作る大きな循環の中に赤ん坊は包まれています。人間の乳幼児にはみな、ある種、湿った土の中にいるミミズのようなところがあるのかもしれません。

与えられ受け取ったものを、書き手は作品の中に出し切ります。しかし作品が本となって読者と真に出会うためには多くの人のお力が必要です。


講談社、「群像」編集長の佐藤とし子さんと出会えたこと、そしてご一緒できたことの幸運に深く感謝せずにはいられません。佐藤さんは、同編集部の北村文乃さんとともに、この作品に本当に多くのものを与えてくださいました。

素敵な装幀で、この作品を包んでくれた敬愛する友人、ガズパール・レンスキー(仁木順平氏)にも深く感謝します。

本の出版流通に関わるすべての人に感謝します。なかでも、読者といちばん近いところにいる書店員さんがいなければ、作品は誰にも届けられません。そのようないちばん大切な真実を誰よりも大切にされてきたのが、ここにいらっしゃる西加奈子さんです。直木賞の受賞会見の最後で西さんは「みなさん本屋に行ってほしい」と力強くおっしゃった。その言葉に心を打たれたのは、僕だけではないでしょう。西さんのような素晴らしい方と受賞の機会を共にできることを心から光栄に思います。


惜しまずにすべてを与える、ということが、文学作品の本質にあるとしたら、そばにいるだけで何かを与えられ、励まされる気がするという意味で、「文学作品」そのものであるような二人の人物に出会えたことが、僕にとって最大の幸福だと言うことができます。


一人目は、僕の大切な先生、柴田元幸先生です。学生時代、先生の授業は僕にとって、本当に受け入れてもらっていると感じられる「居場所」でした。その後、柴田先生が責任編集を務められる雑誌に、文字通り「書く場所」を与えてもらいました。20年前初めて小説を書いて小さな賞をもらったとき、誰にも言わなかったのに、柴田先生のほうから「小野くん、今度読ませてくれる?」と声をかけてくださったのです。その時の驚きと感動は一生忘れないでしょう。


それから、フランスの詩人のクロード・ムシャールさん。留学中、オルレアンにあるクロードのうちに5年近くも居候させてもらいました。素晴らしいパティシエでもあるクロードからは、美味しいお菓子もたくさん作ってもらいました。寝食ばかりでなく、クロードからは本当にかけがえのない大きなものを与えられました。もうしばらくするとマグノリアが美しい花を咲かせる大きな中庭で、クロードと朝から晩まで文学の話をしました。台所でクロードがお菓子を作るのを手伝いながら、ロワール川にかかる古い橋を渡りながら、街中を歩きながら、パリの列車の行き来のなかでも、来る日も来る日も、語り合い、ひなどりが母鳥から口移しで餌を食べさせてもらうように、クロードから文学を与えてもらいました。

心から尊敬する二人の恩人は、今日、この場におりません。クロードはフランスですし、柴田先生もいまアメリカの大学に滞在中です。謙虚なお二人は、直接自分たちに賛辞と感謝が捧げられるのがいやで、この場にいない状況を選んだかのようです。


そして、この場にいてほしかったのに、いない人がもう一人おります。その人は、柴田先生とクロードとはまったく違う形で、僕にとっては文学そのものでした。出稼ぎで数年間離れた期間を除けば、ずっと生まれ故郷である大分県南部にある、リアス式海岸の小さな入り江沿いの集落に暮らしていたその人は、僕にとっては郷里の土地そのものでした。

それは昨年(2014年)の十月に亡くなった、兄の史敬です。

僕は兄にずっと与えられてきました。お人よしで、不器用で、子どものころ、みんなからからかわれていました。何をされても怒らない。人の悪口は言わない。勉強はできない。足は遅い。野球は好きだったけれど下手すぎて、試合に一度も出させてもらえない。周囲の人たちに悪気はなかったでしょうが、やや軽く見るようなところもあったでしょう。兄をそばで見ていて、ときに歯がゆく感じながら、僕はこの人は「奪われている」と思いました。そして兄から「奪っている」人間の筆頭が僕ではないか、と怖れてもいました。小さな頃から兄は僕に対して拒絶するということが一切ありませんでした。読んでいる漫画でもテレビのチャンネルでもお菓子でもすべて弟に譲るのです。

でも兄がいなくなって、わかりました。「奪われていた」のではなかったのです。「与えていた」のです。地域の子どもたちの野球の試合を見に行っては、大きな声で応援する。そして子ども達に声をかけ、飲み物やお菓子を買ってあげる。近所の子どもたちがよく兄のところに遊びに来ていました。僕はたかられているのではないかと思っていたのですが、そうではなかったのです。自分は多くを持っていないかもしれないが、それを惜しみなく与えることが何よりも嬉しかったのです。足の悪い年寄りの代わりに、朝早くから墓参りに行っていました。兄が死んだとき、通夜にも葬儀にも、過疎の集落のどこにこんなにいたのかというくらいたくさん人が来てくれました。足の悪い年寄りが足を引きずりながら仏壇の兄に会いにやってきました。

兄は拒絶することができなかった。僕はそこにベケット的な優しさを見ます。再生するとわかっていても、それでもミミズを傷つけないようにシャベルを動かす優しさです。富と栄誉とは一切無縁だった兄と重ねられても、自分に降りかかった名声を悪運であるかのようにとことんいやがったベケットは怒らないはずです。兄は、「ないないづくし」だったけれど、自分は「否」とは言わず、人を受け入れ、ひたすら与えました。


文学は僕にとってそういうものです。一方的に与えるのです。こちらから決して働きかけることはできません。小説の登場人物が死ぬとき、読者である僕がいくら話しかけようが泣こうが、小説世界の人物たちは答えてはくれません。兄もそういう世界へ行ってしまいました。

『九年前の祈り』は、間近に迫った兄の死が、僕に書かせた小説です。この小説で、このようなありがたい賞をいただきました。

兄は生前、弟に与え続けたのに、それでもまだ足りないと思ったのか、人生の最後に、自分が「いなくなる」ことによって、自分の不在そのものによって、なおも弟に与えようとしたのであり、実際に与えてくれたのだと思います。

この賞を兄に捧げます。

ありがとうございました。

 

小野正嗣





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