その問題は自分のどこから来るものなのか

その問題が自分のどこから来るのか

自分の身体や心に問題が起きた時、または、人間関係で問題が起きた時、その問題が自分のどこから来るのかを考えます。

子ども時代の思い込みなのか、今世のカルマなのか、前世からの遺伝子レベルのものなのかを見つめていきます。一見、ハプニングに見えるその出来事も実は「ギフト」です。どんな出来事も、自分の中に眠る塊の解放に使う。それが魂の成長で、人間としての成長です。

学校の成績表のように、項目ごとにうまくやれているか○×△をつけていくことは人生では意味がありません。うまくやれたかどうか、トラブルがなかったかどうかではなく、どんな環境や出来事も自分の成長へのギフトとして自分の中に取り込んでいるか、です。

取り込んで生きていく人はどんどん器が大きくなり、受け止められる出来事も大きくなっていきます。器の大きな魂が増えれば増えるほど、地球上の営みは平和になっていきます。

神様、大いなる存在は、そのためにさまざまなギフトを私たちに降り注いでくださるのです。そのギフトに、当たりもはずれもなく、どれも私たちの魂を成長させてくれるギフトです。

それらのギフトに、その人だけのダルマ(純粋意識・使命・ミッション)が隠れています。

自分のダルマを見つけるには、自分の好きな人やモノコトと嫌いな人やモノコトをその理由と合わせて挙げてみるとよいかもしれません。

自分の好きな人、モノコトの好きな部分は、自分自身の好きな部分、なれるのに実現できていない部分です。

自分の嫌いな人、モノコトの嫌いな部分は、自分自身の嫌いな部分、人生や生活のなかで恐れていたり、劣等感として感じていることです。

私たちが自分で見ている世界が、私たちの人生すべてです。すでに全部あります。それを、どう見て、どう理解するかです。

どんな行為も、ダルマに通じる可能性があります。自分のヒーリングは自分にしかできないのです。

よいイメージはとても大切。でも、その良し悪しのジャッジに振り回されないこと。二元に生きないこと。良い悪いも、右も左も、上も下療法みている自分がここにいる、というだけです。すべては私たちの中に起きています。

数値化できない真実を掴む

私たちは、どうしてもさまざまな出来事の判断を、数値化することに頼りがちです。また、数値化することが科学的であると思いがちですが、私たちが生きている地球や自然は、数値化されないところで生命を保っています。

人間の身体も脳も神経も細胞も、自然法則の一部です。

生命や生物は、自らをなんとか維持したいと思って変化しながらその存在を保っています。

だとすると、ある生命や生物の仕組みを、数値化された法則のもとで扱い始めたら、はじめは病気が改善したりすることに役立つかもしれませんが、ある法則を理解されてしまった時点で、生命体としての危機を感じて、数値化された法則から離れるのではないかと思うのです。

実際、ある病気の対策や特効薬が発明されて根絶されると、新たな病気が生まれます。病気は、時につらく苦しいものですが、そうした不具合も生命体にとって何らかの意味があって、存在している。そんな風にして生命は維持しているのではないでしょうか。

数値化できない真実をいかにつかむか。これが、健康で幸福な人生のヒントになります。

 

ノーベル生理学賞を受賞した山中伸弥教授や、脳科学の養老孟司氏は、かつて医師を目指しますが、たびたび決められた手順がうまくできずに臨床医を断念します。山中氏は研究の道へ、養老氏は解剖学の道へと進み、それぞれに大きな業績を残します。

新たな発見は、すでに知識となっていることを繰り返すことからは見いだせず、試行錯誤や失敗の中から生まれることも多いのです。チャレンジを繰り返し、初めての場面を乗り切ることに慣れている人は、その場面をどう乗り越えるかの勘やひらめきのようなものも鍛えられていきます。

私が誰かに頼ろうと思うとき、私は失敗したことのない人よりも失敗を乗り越えてきた人の方が信頼できると感じます。失敗したことのない人は、想定外の出来事に冷静さを失いがちで、またその対応への思考回路が鍛えられていないからです。

もちろん、いつでも失敗してもいいということではありません。失敗を避ける努力や訓練は必要です。ただ、人生にとっても身体にとっても予想外の出来事はつきもので、多様な経験からしか私たちは強くなれないのです。

型を覚えては型から離れる

アーユルヴェーダも茶道もヨガも、そして多くの学問や知識には「型」があります。

「型」には理由や合理性があって、人間が作ったものです。その世界の仕組みを学ぶには素直に先人の作った「型」を知ることが大切です。ただし、その「型」に執着してはいけないのです。

「型」を覚える→「型」から離れて自分で考え感じる→「型」を知る→「型」から離れて自分で考え感じる

学びも人生もこの繰り返しです。

答えは簡単にそこにあるものではない。手に入れたら、それでよいという「答え」としての「型」はない。手に入れたと思って中を見てみると、その中は空っぽで・・・そんな繰り返しです。

禅宗の教えが基本である茶道はアーユルヴェーダやヨガの教えと重なることが多くあって、とても面白いです。そして、私はカトリックの信者でもあるのですが、東洋の古代の教えから、茶道、禅宗、キリスト教、宗教の関わりも垣間見えてきます。

人の目が左右に2つあり、2つの角度から同じものをみることでより立体的な世界が脳に映し出されるように、一つのものを、違う場や違う世界から見るとより臨場感あふれるものとして、ありありと理解できるようになります。だから、キリストも仏陀も、修行だけでなく、市井の人々との交流の中で教えを説いたのだと思います。

写真は、3年前のヨギアマンディープの個人セッションで、玄関に、循環するような水を置くとよいといわれて、ようやく今年作った蹲です。

自分の人生を心から愛して、喜怒哀楽の陰影を楽しみ、魂の成長を果たしたい。私はそれを望んで生まれてきたと思うから。

 

教室スケジュール

【表千家茶道教室】

月曜日(昼・夜)・火曜日(夜)・土曜日(昼)

【ビジネス茶道】

2019年8月6日(火) 18時30分~20時30分 原爆記念日「平和の茶会」
日本橋コレド室町 橋楽亭にて

【純粋意識を生きる・アーユルヴェーダ時間】アーユルヴェーダ料理と試食・講義 全24回コース

2019年7月26日(金) 10時30分~16時00分
2019年8月22日(木) 10時30分~16時00分

【植物を味わう・植物時間】】
フラワーレッスン・季節の茶菓と抹茶・朗読
2019年9月24日(火) 14時00分~16時00分