夢に現れた闇と光 光の体験1

2018年1月22日のブログから

2018年1月19日金曜日は、西新井というカルチャーセンターで、テーブル茶道の講習がはじまる日でした。前日に準備の確認もして万端でした。

ところが当日目を覚ますと、身体が重くて気持ちが悪い。吐き気もする。普段、身体が丈夫な私には本当に滅多にないことです。担当者にご相談をして、皆さんにご迷惑をおかけして大変申し訳なかったのですが、延期にしていただきました。

それから丸一日、節々の痛み、割れるような頭痛、眠れない不快感と格闘するように過ごしていました。

すりおりしたリンゴが美味しかった。

山姥のような形相でベッドに横たわりながら、痛みで眠れない。

私が倒れて寝込んでいても、家族は熊が別荘地を荒らすように、適当に食べちらかして、リビングもキッチンも鍋やら食器やらぐちゃぐちゃで、「おなかが空いたから食事してくる」と外出していく。

あの鍋やら食器やらは、私の回復を待って、ずっとそのままでいるのだろう。私が倒れていても、誰も何もしてくれないんだというイライラした悲しさが知らないうちに募っていき、私の中の引きちぎられたミミズ(小野正嗣さんの著書『9年前の祈り』より)がうごめいて、その一日の騒動が始まりました。

 

びっくりするような騒動の晩は、体調がまだまだ回復しない中、このまま頭が割れてしまうかも、と思いながら、家を出て家族と離れて眠ることにしました。

翌日、日曜日の朝になるとだいぶ回復していました。

ようやく久しぶりに熱いお風呂に浸かり、シャワーを浴びて、病み上がりの疲れた身体になんとか力を入れて、昨年から約束していた鎌倉のとある人に会いに行きました。アーユルヴェーダドクターの蓮村先生が紹介してくれた人で、本当は、三女もそこに連れて行こうと思っていましたが、それは叶いませんでした。

同じ年頃のご夫婦と一緒でした。何かのご縁ではないかと感じました。

そこで、4時間以上いたでしょうか。不思議な話を聞きました。私は、智が40で、仁が35で、勇が25の人だと教えてくれました。頭と心が助けになると。

それで帰宅しました。

最寄りの駅近くでは、お向かいのママにお会いしました。

昨日の騒動が知られていたら恥ずかしいと思ったけれど、それでもいつものように挨拶をして普通にしました。

家に戻ると、娘たちはいつものように不機嫌でした。

長い長い3日間でした。何事もなかったかのように日常に戻るのか、そうではないのか、よくわからないけれど、私は自分のやるべきことだけをして、寝ました。そして夢を見ました。

闇と光の夢

キョウコさんとショッピングモールを歩いていた。

キョウコさんは、何やら私にはわからない、流行りのサンダルの名前かブランドを言って、それが見たいんだとお店に入った。

「やっぱり、◯◯でしょう、サンダルは」と言いながら、すでに履いている、綺麗に編み込まれたメッシュのサンダルを見せてくれた。

そのすぐ後に、キョウコさんはサンダルのお店の横にあったカバンに目が移ったようで、サンダルではなくてそのカバンを鏡で合わせてみていた。さすが、それもおしゃれだった。

「機能的じゃないなあ。」と言って、大きなリュックも合わせてみる。

キョウコさんは店員さんと話をしている。私は後ろで鏡を見ながら待っていると、店員さんに「ねえ、あのカバンいいですよね」と同意を求められたので、「このカバンで、一緒に旅行に行くのが楽しみです。」と言った。春が過ぎたら一緒に旅をする計画があった。

 

キョウコさんとは別れて、私はまた歩いていた。

そこは、ビルのような不思議な場所だった。

ダイハードの映画のシーンのような、私にはなじみのない場所のようなのに、時々知っている懐かしい部屋が出てくる。未来都市のような銀色のステンレス色の円柱型のビルで、まあるく回るような通路に沿っていろんな部屋がある。

いろんな人たちが、いろんな場所で美味しそうなものを食べていた。

年末にコンサートに一緒に行った中学生のリコちゃんも彼氏らしい男の子とおしゃれをして、たくさんの人たちと一緒にピザを食べていた。

大学の同級生ノリコの娘のサナちゃんが、いつものようにまたプリンセスみたいな派手な衣装を着てケーキを中華包丁でダンダン!とカットしていた。相変わらず自由な子だなあ、と思った。横で、これまたいつものように、ノリコがブツブツ言いながら、好きなようにさせていた。

ビルに並んだ小さな部屋たちはまるでその人の世界を象徴するようで、みんないろんなところに居場所があって、私も、好きな時に、好きな場所で、好きな人といればいいんだと思った。

 

母もどこかで料理をしているようだった。妹と食卓の準備をしていた。しばらく会っていない末の甥っ子が妹にそっくりになっていた。まだ、あどけないかわいい顔をしていた。

普段使わないよそゆきの食器やナプキンや、そんなものを出すために私は母の部屋に入ると、そこには母の小さな書斎机があった。

「いいなあ。こんなスペースが私も欲しいなあ」と思って思わず机を触りながら見ていた。クールで静かな光が左側から入る。ああ、東向きだ。東からの光だ。

私もいつか、ヨギアマンディープに言われたんだ。「東向きに自分の仕事用の机を置きなさい」って。まだその場所ができてなかった。

「やっぱりいいな。お母さんもそうしていたんだな。」

 

その時。

妹だったか、ノリコだったか、誰だったのかは定かではないけれど「危ない!来た!」と言った。

私とその声を上げたもう1人は必死で走った。運動会より必死に、ああ、戦争っていうのはこういう毎日なのかと、追手に追いつかれるよりも先に心臓が壊れて死ぬかもしれないくらい必死で走った。追手は「闇人」だった。

闇人が来たら電動ドアのトイレに逃げて身を隠すのが一番だと、夢の中の私は知っていた。

ああ、もう、追いつかれる、、、ああ、間に合うか。

 

電動ドアの開くボタンを押した。

 

電動でゆっくり開いた。

 

閉めるのボタンを押した。

 

また、電動でゆっくり閉まってゆく。ああ、早く閉まって。入ってきちゃう。

 

ドアが閉まるのが待てずに、トイレの個室に入って、カタンと棒を回すような手動の鍵をしめた。一息ついた。けれど、やっぱり間に合ってなかった。

トイレの隣の壁の上の方から、ウルトラマンとか仮面ライダーに出てくるショッカーのような、カニオバケのような黒い2本の長い爪が、私の頭に向かってきた。

逃げ切れなかったんだ。おしまいだ。諦めよう。私はここで死ぬんだ。ぐっと目をつぶった。頭に刺さった。痛い!ああ!やられてしまった。

 

しばらく時間が経ったような気がした。身体が苦しくて苦しくて、ぼんやり意識があった。

気が付くと夫に羽交締めにされていた。

そうか、私の敵の正体、「闇人」は夫だったのか、と思った。

そしたら、夫が言った。「ずっと苦しんでいたけど、大丈夫?」

「私、あの黒い2本の爪の闇人にやられてしまったの。トイレに逃げたけど、隣から爪が出てきて、間に合わなかった。だから、もう、死んだと思っていた。」と言った。

私、助かったんだ。なんで助かったんだろう。

 

よく夢にあるように、そこでシーンが変わった。

ビルから出ようと歩いていたら、ロビーのようなところで遠くに闇人が見えた。私に何か言っているようにも見えた。「いつかまた追い詰めてやるからな」みたいなことかもしれない。

私は「まだあそこに闇人がいるから気をつけて」と夫に言ったけれど、夫はたいして気にしていないようだった。

夫と別れると、長女と次女がいた。

私はその時にはすっかり元気に明るい気持ちになっていて「このエスカレーターを降りるとどこに出るか知ってる?」と言いながら、楽しい気持ちで子ども達と長いエスカレーターを降りた。

そこを降りると、初台の東京オペラシティの2階に出るはずで、そこは2人のすみれ幼稚園の通園でいつもトイレや休憩、雨や風、暑さ寒さよけに立ち寄るところだった。

「あー懐かしいねー!」と2人。

ところがエスカレーターの動く階段は、止まるはずのところで止まらずに、まるで積み木の中を突入するみたいに20センチ四方くらいのブロックだらけの山を崩しながらずんずん進み、押し倒した積み木の重みで、私たちは止まった。

あら、ビルが壊れちゃった。

少し崩れかかった積み木の広場に長女が走り出してはしゃいでいた。

私は、その未知なる積み木ブロックがまだまだ崩れるかもしれない!と思って、叫んで止めた。

「やめて、また崩れるかもしれないから、そおーっと戻ってきて!そおーっと!そおーっと!」

そうしたら、今度は次女も長女の方へ楽しそうに向かった。

ああ、この子たちは、本当にそういう子だった。危ないのに、危ないのに、キャッキャッとそういう方へ行ってしまう子たちなのだ。

でも、大丈夫だった。

 

それから、夜になって、道路では車もライトをつけていた。長女が一眼レフカメラを持って通りの向こう側で上を向いていた。

「上を向いたままカメラをのぞいて歩くと轢かれるから気をつけて!」

私はまた長女に言った。

「みんなが星の写真をインスタにあげているから、私も撮りたいな、と思ったの。」と言いながら、私がいる方へと道路を渡ってきた。

近くに来てくれて、ホッとした。娘がこんなに大きくなっても、怪我をするんじゃないか、誰かに傷つけられるんじゃないか、失敗して悲しい思いをするんじゃないか、といつも心配がつきない。

「星を撮るのはそのカメラじゃ、ダメじゃないかな。何か設定を変えるか、レンズを特別なものに変えないと。」私は内心、星なんて撮らなくていいよと薄っすら思いながら長女に言った。心配が増えるのは嫌だった。

ちょうどその時、人気アイドルグループの翔くんが通った。私が大好きな相葉くんと同じグルーブの仲間だ。

「あ!翔くんだ。」と思いながらも、テレビカメラ以外のオフで騒がれることにとても気難しいことで有名だから仏頂面で通りすぎるだろうと思っていた。

ところが、すれ違う時に長女に声をかけてくれた。

「星を撮っているの?いいねぇ。見せて。ああ、こういう時はね、こうしたらいいんだよ。」となにやら長女にカメラの扱いを教えてくれていた。

後ろ姿を見ながら「この子、翔くんの後輩なんですよ」って言おうかやめようか迷っていたら、娘の胸につけていた学祭のバッジをみて「あ、そうなんだ」と優しく笑ってくれた。

翔くんは撮影の帰りなのか、特殊メイクで首のあたりに痛々しい傷跡が残っていた。

「じゃあねー」と翔くんとも別れた。

一年前くらいに長女がサークルの集まりで、一眼レフカメラを持ち出した時、私はすごく嫌だった。あの子はすぐものをなくすし、大事なカメラをどこかに置きっぱなしにしたり、乱暴な扱いをされたら嫌だと思っていた。

でも、翔くんと別れてから自然に「星が撮りたいんだな。そういえば、小さい時からこの子は写真が好きだったな。」と思った。

 

家の手前で、三女が塾なのか、リュックを背負って家の前を出るのが見えた。ひどい喧嘩をしたばかりだったので、なんとなく声をかけそびれた。喧嘩をしたばかりだったので、このまま帰ってこなかったらどうしよう、とも思った。でも、どうしてあげたら良いのかわからなかった。

その時だった。

その時間は日の出前の朝方で、ぼんやり目覚める直前だったと思う。

ふわーっと光が見えた。

遠く西の方から私に向かって、柔らかくて広く私に届く光が放たれていた。太陽は東から登るのに、なぜかその光は西からだった。

寝ぼけながら、その西からの光がどこからくる光かわかったような気がしていた。

その時、これまでに見ていたのが夢だったと、夢の中の私はそれまでの出来事を思い返してた。ああ、ずっと西の方からこうして光を送ってくれていたんだ。

何をくれるわけでもないし、何をするでもなく、たまに一緒にごはんを食べたり、私のつまらない愚痴や日常をいつも聞いてくれる人だった。子ども時代の、私の大好きな福岡の祖父みたいな存在だった。

何かヒントや答えが欲しくて話してみるけど、いつもだいたい聞いてくれるだけだった。

迷惑だろうな、困った人だと思っているだろうなと内心、いつ愛想を尽かされるかドキドキもしていた。でも違っていた。

「〇〇してあげるよ」なんて何も言わずに、ずっとずっと黙って、こうして優しい光を送ってくれていたんだ。いや、光はその人から送られてくるものではないんだ。大いなる誰か、何か、その名前をなんて呼んだらよいのかわからないけれど、神様なのか、魂なのか、ハイヤーセルフなのか、地球なのか、宇宙なのか、とにかく、ただただ、光は照らされていたんだと気づいた。

そして、その時、私も子どもたちにそうしていたらいいんだと思った。

私の夢に出てきた闇人や、引きちぎられたミミズはまた来るかもしれない。いや、来るだろう。私にも、もしかしたら子どもたちにも。でも私は光を送るだけしていたらよいのだ。

『9年前の祈り』の著者、小野正嗣さんのお兄さんのように、ただ、光を与え、与え、なおも与えるんだ、と。

この闇と光の夢は、いまでも思い出す、私が大いなるものから受け取った不思議な光の体験の一つです。