トム・サックス ティーセレモニー展を観てきました

トム・サックス ティーセレモニー展

もう6月のことになりますが、茶道教室の生徒さんに教えてもらって、トム・サックスのティーセレモニーという展覧会に行ってきました。

私が駆け込んだのは東京オペラシティでの展覧会の最終日で、入場制限のため20分並んでチケットを購入するほどの大盛況ぶりで、若い方が多く並んでいました。

並んでいる間にインスタのストーリーで、美大を卒業してデザイナーとして働く姪も数時間前に来ていたことがわかり、「とにかく映像が素晴らしい!」とメッセージが入りました。

その映像は、トム・サックスが自作で作った庭、蹲、待合を丁寧に清めて整えるところから始まります。そして、お客が到着し、蹲で手を清め、茶事で招かれたときの手順で、静かに茶室へと向かいます。

茶室では、ペッツやオレオクッキーのお菓子が出され、そして、makitaのモーターのついた茶筅で抹茶が点てられます。

道具や設えが手作りである以外は、本当に静かで厳かで誠実なティーセレモニーそのものでした。

なぜ日本でお茶を点てるのか?

パンフレットのトム・サックスのメッセージが印象的でした。一部を引用してご紹介します。

特権階級としての高等教育を受けた中年のアメリカ人白人男性であれば誰しもの人生において、日本の重要性に気づくときがいつかはやってくる。だからだろうか、ニューヨーク州スカースデールからサンフランシスコ近郊のサウサリートにいたるまで、たくさんの禅ガーデンや鯉の泳ぐ池、はてはアジア系後妻で溢れているのだった。

中略

僕の茶道との関わりは20年ほど長いものではないにしても、自分のアイディアを拡張すべく、その美点を自己流に歪曲させる権利は得てきたつもりだ。そしてもちろん、自分の目的に合うように茶道のかたちを変える中で、僕は光栄にも茶道の強みを学び、また僕の独自の素材や方法に合わせることで茶道の弱点をつぶしてきた。茶道は僕に自分の限界を知ることの優美さを教えてくれたし、またそれを乗り越える勇気、そして内なる宇宙を探索するための知恵を与えてくれた。

今回、「ティーセレモニー」を日本で発表する機会に恵まれたことを、言葉に表せないほど光栄に思っている。自分バージョンの茶道への探求に乗り出し、後に千個に達する「不完全な茶碗」の最初の一個を制作した当初、これほど困難で途方もない旅、まるで火星に行こうとするのと同じようなことになるということを僕はまるでわかっちゃいなかった。

私も、決して恵まれた条件でない中、茶道の魅力に取りつかれ、また教室を開いて教え始めてみて、私なりの方法に合わせることで、一部の階層の人にしかできないという茶道の弱点をつぶしつつ、それでまた私自身の限界を思い知らされてきた。そして、それを乗り越えるために勇気をもって、さまざまな挑戦をしています。

それは、確かに茶道を愛する私自身の内側を探求する作業であり、無茶なことを始めてしまったものだと途方に暮れてもいる私の気持ちを表しているように感じ、首がもげるかもしれないと思うくらい一人で頷きました。

500年もの間、茶道は富裕層のためのものとされてきた。なぜなら大体において「時は金なり」だからだ。伝統的な日本の茶道では、良い客となるためには長年の修行と鍛錬が必要だし、よい亭主となるにはさらにお金が幾らあっても足りないくらいの年月がかかることになる。ただ、こうしたエリート主義にもかかわらず、茶の形式には多くの卓越した普遍的な要素があるのもの確かだ。それは、アメリカで茶道をたしなむ、嫌味ったらしく思い上がった奴らにとっても同じだ。まさにこれこそが茶道の持つ力を真に指し示している。茶道の核である純粋さ、調和、静謐、敬意といった価値観は、時空を超えて真実みがあるだけでなく、ヘッジファンド文化のちっぽけなナルシシズムなど軽々と超越してしまう。

まさに、私も、いやらしいエリート主義の中にありながら卓越した普遍的な要素を持つという茶道に惹かれているのです。

純粋さ、調和、静謐、敬意。

茶道の教えに対する僕の忠誠心は自分自身にとって都合のよいものだけに限られる。僕は富裕層を富裕層たるものとさせる伝統を、誰しもが楽しめるような茶道にするためにやりたい放題やってやった。とはいえ、僕はアート界のロビンフッドを気取って、文化の流用/還元を行っているわけではない。これは発展性のある活動なのだ。僕は茶道と個人的につながり、それこそ宇宙探査からスイス植民地化計画まで―自分の活動のすべてと結びつけることで、自分の人生を真に表現しているのだ。伝統を汚しているのかもしれないが、同時に茶道をネクストレベルの上物にもしているとも思う。つまりイサム・ノグチがいうところの「古い伝統の真の発展」だ。僕が「古い」という言葉を使う時に指すのは千利休的古さで、彼の自己流で、異端とされた茶のことだ。

アート、芸術とは、過去の伝統を真似することではないはずです。自分自身と繋がり、自分の人生を真に表現するところに、芸術性が現れると思います。

千利休的古さというのは、当時の価値観を大きく変える審美眼を表現した、利休流のことで、その精神はその後弟子たちが継いでいるからこそ、織部がいて、遠州がいます。そうした「真の発展」や「ネクストレベル」がなければ、この500年もの間残ってきているはずがないと思います。

茶道は、美術館にうやうやしく並べられるものではなく、発展性のある生きた活動的文化なのです。

千利休は主である豊富秀吉に、竹筒を再定義し、花器に見立てることや、富めるものにとって貧者のような装いこそがクールなこと、そしてどうジョークを受け取るかを教えていた―秀吉から切腹を命じられるその直前まで。

幸いにも日本人は流用の目利きだ。16世紀、最高品質とされる陶磁器は朝鮮半島で生産されていた。そこで日本人は朝鮮半島から陶工を日本に連れ去り、彼らに壺を作らせまくった。一世代後、日本は類を見ない陶磁器の生産地となり、今日に至っている。日本人は、流用、執着、発展を通して、工芸を磨き上げ、アートを昇華させたのである。後に日本はドイツ製のライカカメラと出会うことになるが、カメラをはじめあらゆる製品をより高性能かつ安価に生産することで、世界経済に大変革をもたらした。

洗練とはたゆまぬ純化と見直しである。僕にとって、それは必要とあらばどんな手段を使っても、だ。僕は熱狂家であって、研究者ではない。すでにそこにあるものを発展させ、加えていく。もっとセックスを、もっとドラッグを、もっとヒップホップを―暗黙をあからさまにしながら。そしてリスペクトの意味を再定義する(もてなしの心を重んじる文化において、良い客とみなされるのに8年もの歳月を勉強に費やす必要はないだろう)。公共放送用に制作されたような映像を用いて、ポルノに作り替える。すべてにおいてその純粋さ、調和、静謐の感覚を維持しながら。

私も茶道に入門するまでは、日本に伝わる茶道の文化が、複数の価値観の混在するねじれの中にあるとは知りませんでした。

茶の湯の文化そのものは利休の登場以前にあり、その頃は中国舶来の道具を珍重し、身分の高い武士たちの教養だった。その後、村田珠光や千利休の新しく異端な茶道によって、侘びさびの文化や国焼の道具、見立ての面白さなどが現れます。時の為政者に切腹を命じられたことから、利休を慕う弟子たちの物語が生まれ、そして平和な江戸時代には大名たちとの関係にもまた物語が生まれます。

現代で稽古する私たちは、唐物の道具、見立ての道具、殿様から拝領した道具、千家が確立してからは代々の家元好みの道具・・・という違った流れの価値観が混在しています。

茶道の中には、日本の歴史のようなものが凝縮されています。必要とあらばどんな手段を使っても、すでにそこにあった茶道を発展させて、加えてきたことがわかります。すべてにおいてその純粋さ、調和、静謐の感覚を維持しながら、それをしてきたのが、日本の茶道だと思います。

茶道は死んだ。

茶道よ永遠なれ。

トム・サックス

と結んでいます。

来るべき未来のための茶会~宇宙空間での茶会

ここからは、東京オペラシティアートギャラリーのチーフキュレーターである堀元彰氏の寄せた文章を引用して紹介します。

アメリカでは、702の職業に従事する全雇用者の47パーセントがAIやロボットによって置き換わるという研究論文もある。(中略)

もっとも、AIが人間から仕事を奪うことは、必ずしも悪いことばかりではない。日々の労働の束縛から解放された人間は、それと引き換えに、娯楽と余暇(レジャー)のための膨大な時間を手に入れることができるからだ。そのとき人間は、いったい何にその時間を使えばよいのだろうか。ある興味深いレポートは、狩猟(ハンティング)の流行を予測する。狩猟のほか、無人島生活、宇宙旅行などが、時間を持て余した近未来の人間が向かう関心なのだそうだ。

トム・サックスが宇宙空間でのティーセレモニー(茶会)を思いついたのも、長時間にわたる宇宙旅行の間、何をしたら時間を持て余さずに過ごせるかという意識からだった。諸説はあるが、火星までの旅行でも最低半年程度かかるといわれる。その長い退屈な時間を過ごすのに、ティーセレモニーがうってつけだと考えた。

部屋にいてデジタルデバイスを持っていれば、なんでも知ることができて、音楽が聞けて、遠い世界の風景が見れる。ファストフード、ファストファッションによって、衣食住は手軽にモノがそろい、それもオンラインで部屋にいながら注文できる世の中になりました。

これからは、モノに憧れ、モノを買う時代ではなく、時間や体験を買う時代になるのでしょう。

AIやロボットが開発されていくことで、身体を酷使する労働から人間が解放されて、短い時間と少ない労力で、必要な収入を得る活動ができるようになったとしたら、火を起こし、庭の植物の手入れをし、部屋を丁寧に清めて、ゆっくり静かに一服の茶を点てるという時間をもっと楽しめるようになるのかもしれません。

利休の侘び茶が真に革新的だったのは、名物と呼ばれる、高価で華美な茶道具を尊ぶことをせず、既成の価値観を否定した点だった。天目茶碗などの当時のブランド品に代わって、利休は、質素で素朴な茶碗や釜を職人たちに作らせ、また、自らもデザインした。舶来品を使う場合でも、好んで用いたのは大量生産による安価な雑器だった。

こうした造形性や美意識の面でも、トム・サックスのティーセレモニーは利休の侘び茶の精神を踏襲している。利休が自らも茶道具をデザインしたように、サックスも茶道具、茶室など、茶の湯にまつわるあらゆるものをデザインする。マキタのモーターを用いた茶筅は、日本メーカーの輸出品をアメリカで手に入る日用品と組み合わせる点で、利休による唐物と和物の組み合わせを想起させる。ほかにも、トイレットペーパーの芯、歯ブラシ、綿棒などでできた盆栽など、サックスの作品は、自由で奔放なD.I.Yの精神に充ち溢れている。

見事に利休が異端で自己流にリスペクトの意味を再定義したように、トム・サックスもそれをしています。茶道の核となる部分を消化しています。旅に持ち運ぶ旅ダンスのように、宇宙旅行での茶の湯を創り、干支や縁起物の動物をモチーフにしたように、スターウォーズの愛らしいキャラクターがモチーフになっています。

D.I.Y(Do It Yourself)の発祥は、第二次世界大戦後のロンドンだったという。ナチスによる空襲で荒廃した町を自分たちの手で復興させようという国民運動が発端で、そのスローガンとして掲げられたのが、「D.I.Y(Do It Yourself)」だった。これがイギリスからヨーロッパ全土へ広がり、さらに大西洋を渡ってアメリカに伝播して、独自の発展を遂げることになる。

(中略)

そうした経済発展は、利権をめぐる暴力や紛争、貧富の格差の拡大、その結果としての国家や国民の分断をもたらし、近年とくにその負の影響が深刻な問題となっている。国家間の利害対立が戦争という不幸な結末をもたらし、その復興の過程でD.I.Yが提唱されたことは、本来の人間性の回復を希求する無意識のバランス感覚だったかもしれない。

行き過ぎた資本主義の歪み、格差社会の拡大、イデオロギーや宗教の相違による人々の分断が世界中で大きな問題になっている。人類を相互に結びつける絆がかつてないほどに稀薄になりつつあるなか、四畳半の茶室における一期一会に、その解決の糸口を見出すことができるのではないか。このような観点から、トム・サックスのティーセレモニーは、人間の本質とは何かを考えさせてくれる、きわめて革新的なプロジェクトと言えるだろう。

利休が見立ての道具を用いた時代も、思えば戦国時代であった。争いに勝ち、力のある者が舶来物を集めるというような価値観から、D.I.Yのような見立てや手作りの道具の中に美を表現したのも、人間性の回復を求める無意識のバランス感覚だったのだろうと思います。

私たちがこれから生きようとする新しい時代で、生まれて死ぬだけの時間の中に、独自の創造性を生きる人間らしさがあってほしいと思います。

9月7日(土)京都 高台寺 十牛庵茶会

9月7日(土)11時00分~16時00分

京都 高台寺 十牛庵に現地集合にて、ビジネス茶道京都茶会をいたします。

名工による数寄屋建築と庭を楽しみながら、十牛庵の日本料理をいただいた後で、普段は非公開のお茶室を特別にお借りして、お茶を一服点てさせていただきます。

→お申込みはこちらへ

 

教室スケジュール

【表千家茶道教室】

月曜日(昼・夜)・火曜日(夜)・土曜日(昼)

【ビジネス茶道】

2019年10月17日(木) 18時30分~20時30分 原爆記念日「平和の茶会」
日本橋コレド室町 橋楽亭にて

【純粋意識を生きる・アーユルヴェーダ時間】アーユルヴェーダ料理と試食・講義 全24回コース

2019年8月22日(木) 10時30分~16時00分

【植物を味わう・植物時間】】
フラワーレッスン・季節の茶菓と抹茶・朗読
2019年9月24日(火) 14時00分~16時00分